彼方に灯る

他力の中で自力を遊んでみよう

光の中で暗闇にいる

先月の話ですが善光寺に行って参りました。

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「私が仏を見ている」のか。「仏が私を見ている」のか。 | 小出遥子オフィシャルサイト

「私が仏を拝んでいる/見ている」ではなく、「仏が私を見ている」を味わってみたかったのです。

善光寺の前に立ち寄ったお寺でもそんな感覚でお参りをしてきました。今までのお寺にお参りする時のような「しっかり目に焼き付けておこう!」という力みはなく、「ああ見てくださっているんだ」という安心感と共に、祈るでもなく願うでもなく、ありがとうございますと手を合わせて拝んでいました。

 

そして善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来像は絶対秘仏で目にすることは叶いません。

「よーし、善光寺に行くぞ!」と息巻いたものの、はたと絶対秘仏だったことを思い出し「違うお寺にお参りしようかな」と最初は考えたりもしました(笑)。

けれど本堂で「私が御本尊を見ているのではなく、御本尊が私を見てくださっているのだ」と手を合わせていると、自分が何かとても大きなものの中に包まれているようでした。

 

さて、本堂にはお戒壇めぐりがあります。

床下に真っ暗な回廊があり、壁を手探りで歩いて御本尊の真下にある「極楽の錠前」に触れるとを往生が約束されるというものです。

せっかくですので入ってみました。

思っていた以上に真っ暗闇でした。そして意外に長く感じるのです。「まだ?まだなの?」と右手で壁を探り探り、暗闇のせいで体が自然と屈んだ状態で進みます。

「もしかして極楽の錠前に気づかずに通り過ぎちゃったのかな」と思ったりもして。

 

お化け屋敷でもないので何かが飛び出してくるわけでもなく、ただ真っ暗闇なだけなのですがそうわかっていてもふと怖くなって「…引き返したい」という気持ちも途中であらわれてきました。

その時、その感覚は胸で感じている気がしたのでTANDENメソッドを思い出して丹田に心をおさめました。

「ああ、この暗闇は私が生まれる時に通ってきて、そしてまたこの暗闇を通って帰っていくのかもしれない。暗闇は元いた場所なんだ」

そんなことが頭をよぎりました。

真っ暗闇の中を手探りで必死になって極楽の錠前に触れようとしている自分が滑稽であると同時に愛しくも感じました。

 

戒壇めぐりを終えて明るい本堂に出てきた後に思ったのは「なんだ、いつだって本当はこうして眩しい光の中にいるのに私は勝手に「真っ暗だ」「不安だ」と思い込んで救われようとじたばたしていたんだ。」ということでした。

20190530ラジオ瞑想&本日の10分トーク:すでに蓮台の上にいる - YouTube

もうすでに許されて救われて存在しているはずなのに、勝手に思い込んじゃって。

なんて弱くてみっともなくて、そしてそんな必死さがなんて可笑しくて愛しいのだろう。

 

高瀬一誌さんという歌人の方の最後の歌集となった『火ダルマ』という本の中の一首が初めて実感としてよぎりました。

 

   太陽のひかりあびてもわたくしは まだくらやみに立ちつくすなり       高瀬一誌

 

今いろいろと不安なことを感じたりもしますが、見つめていくとどれも全てまだ起こっていないことであり、結局は光の中で自分で自分を暗闇にしてるんだなあと気づくとちょっと可笑しくて、大丈夫とも思えてきます。日日是好日

 

小出遥子さんのツイキャス

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