彼方に灯る

他力の中で自力を遊んでみよう

疑問を抱くことさえも

お久しぶりです。

今年は他力の中で自力を遊ぶをテーマにして毎日を過ごしています。

「こうしたい」「こうありたい」が出てくる自分もゆるされて存在しているし、それゆえ「こうしたいのに出来ない自分」「こうありたいのになれない自分」でじたばたしていることも「在るなあ。それさえゆるされているのに。」とじたばたしている自分が滑稽な分愛おしいと思ったりもしています。

 

例えば体調管理なんかも自力でどうにかなるようにとあれこれとしている。そもそも生きていること自体、大きないのちの流れの中にいるのだけど。

それを一日のどこかで感じるようにしています。

 

何かに触れる度に、誰かと接する度に生まれてくる思いも「ああ、在るな」と気づいています。思ってしまう自分、思っちゃいけないという自分。どっちも居ていいし、実際に在るのだから。

 

私がラジオ瞑想のトークを聴き始めた時も、そして現在も、全てをすんなり納得出来ている訳ではありません。

ブログを読んでいて「えー、そんなこと言ってるけどさ…」「えっ、ちょっとわからない…」と思うことは今だってあります(笑)。

自分と他者についてとかは今も模索しています。

 

わからないからこそ、疑問を抱くからこそ、答えを探す楽しみもあります。

探すものではないかもしれないし、ただ事実として在ることなのかもしれません。

それはそれとして宝箱が開く楽しみとして疑問が在るということにしています。

それすら「他力の中で自力を遊ぶ」なのでしょうね。

日日是好日

より気楽に、おまかせをして

突然ですがTwitterのアカウントを新しくすることにしました。

https://twitter.com/hitomosigoro/status/1149292551729369088

https://twitter.com/hitomosigoro/status/1149296894499147776

4月から実生活と趣味用のTwitterアカウントを作ってつぶやいていました。

しかし、それだと「灯ともし」としての自分を切り離しているような気も薄々していました。

何となくもっと気楽に、おまかせをして生きていく方向にシフトしていきたいなと思うようになりました。

Facebookアカウントもひとまとめに移行したのでラジオ瞑想やTANDENメソッドでの発見はFacebookのTANDENメソッドのページに書き込んでいこうと思います。

 

新しいTwitterアカウントでの趣味関係の方々は基本的にフォローをくださった方とのご縁を大切にしようと思って、こちらからのフォローは少なめにしています。

縁に関してはじたばたせずに、おまかせしますで良いんじゃないかなと。

 

そんなわけで今後ともよろしくお願いします。

 

光の中で暗闇にいる

先月の話ですが善光寺に行って参りました。

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「私が仏を見ている」のか。「仏が私を見ている」のか。 | 小出遥子オフィシャルサイト

「私が仏を拝んでいる/見ている」ではなく、「仏が私を見ている」を味わってみたかったのです。

善光寺の前に立ち寄ったお寺でもそんな感覚でお参りをしてきました。今までのお寺にお参りする時のような「しっかり目に焼き付けておこう!」という力みはなく、「ああ見てくださっているんだ」という安心感と共に、祈るでもなく願うでもなく、ありがとうございますと手を合わせて拝んでいました。

 

そして善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来像は絶対秘仏で目にすることは叶いません。

「よーし、善光寺に行くぞ!」と息巻いたものの、はたと絶対秘仏だったことを思い出し「違うお寺にお参りしようかな」と最初は考えたりもしました(笑)。

けれど本堂で「私が御本尊を見ているのではなく、御本尊が私を見てくださっているのだ」と手を合わせていると、自分が何かとても大きなものの中に包まれているようでした。

 

さて、本堂にはお戒壇めぐりがあります。

床下に真っ暗な回廊があり、壁を手探りで歩いて御本尊の真下にある「極楽の錠前」に触れるとを往生が約束されるというものです。

せっかくですので入ってみました。

思っていた以上に真っ暗闇でした。そして意外に長く感じるのです。「まだ?まだなの?」と右手で壁を探り探り、暗闇のせいで体が自然と屈んだ状態で進みます。

「もしかして極楽の錠前に気づかずに通り過ぎちゃったのかな」と思ったりもして。

 

お化け屋敷でもないので何かが飛び出してくるわけでもなく、ただ真っ暗闇なだけなのですがそうわかっていてもふと怖くなって「…引き返したい」という気持ちも途中であらわれてきました。

その時、その感覚は胸で感じている気がしたのでTANDENメソッドを思い出して丹田に心をおさめました。

「ああ、この暗闇は私が生まれる時に通ってきて、そしてまたこの暗闇を通って帰っていくのかもしれない。暗闇は元いた場所なんだ」

そんなことが頭をよぎりました。

真っ暗闇の中を手探りで必死になって極楽の錠前に触れようとしている自分が滑稽であると同時に愛しくも感じました。

 

戒壇めぐりを終えて明るい本堂に出てきた後に思ったのは「なんだ、いつだって本当はこうして眩しい光の中にいるのに私は勝手に「真っ暗だ」「不安だ」と思い込んで救われようとじたばたしていたんだ。」ということでした。

20190530ラジオ瞑想&本日の10分トーク:すでに蓮台の上にいる - YouTube

もうすでに許されて救われて存在しているはずなのに、勝手に思い込んじゃって。

なんて弱くてみっともなくて、そしてそんな必死さがなんて可笑しくて愛しいのだろう。

 

高瀬一誌さんという歌人の方の最後の歌集となった『火ダルマ』という本の中の一首が初めて実感としてよぎりました。

 

   太陽のひかりあびてもわたくしは まだくらやみに立ちつくすなり       高瀬一誌

 

今いろいろと不安なことを感じたりもしますが、見つめていくとどれも全てまだ起こっていないことであり、結局は光の中で自分で自分を暗闇にしてるんだなあと気づくとちょっと可笑しくて、大丈夫とも思えてきます。日日是好日

 

小出遥子さんのツイキャス

ラジオ瞑想は毎朝6時からです。

小出遥子(こいではるこ) (@haruko_koide) 's Live - TwitCasting

未来はTANDENを使った実験

ご無沙汰しております。少しずつ新しい環境にも慣れてきて、良い面だけでなく悪い面や大変なこともわかってきました。

そんなタイミングで少し先ではありますが、ちょっと私で大丈夫なのかな?という役割を担うことになりました。

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さすがにいろいろな面での不安だったり、どうなるんだろうという気持ちが起こってしまいました。

少し疲れもあったのかここ最近は生活や気持ちにもメリハリがなくなっていましたし、そんな自分を立て直そうと思ってティク・ナット・ハンの本を読んでみたり、坐禅会にも参加してみたりしていました。


だけどやっぱり私に必要なのはTANDENでした!(笑)今朝の遥子さんのツイキャスのラジオ瞑想に参加してしみじみと実感しました。

未来がどうなるかはわかりませんが、これはTANDENを使った実験のつもりで他力の中で自力を遊んでいきたいと思います。

どうしたって生きている

リアル版・遥子の部屋でのお話タイムで以前に遥子さんが紹介していた「自分の死に顔を眺める」というワークの話題になりました。

自分の死に顔を眺めてみよう | 小出遥子オフィシャルサイト

以前に一度試した時はこんな感じでした。

 

先月、祖父が亡くなったこともあり、今もう一度このワークをしたらどう感じるだろう?と思いながらバスに揺られて帰り、早速寝る前に試してみました。

祖父の葬儀を思い出し、自分の死に顔を想像し、なりきって他者の目線で見てみる………

………

………

自分の呼吸を意識してしまいます。

呼吸が浅いとか、苦しいとかではありません。

ただ自分が呼吸をしていることに気が向くのです。

 

気を取り直してまた想像し、眺めてみます。

しばらくすると今度は自分の脈拍に気が向きます。普段なら気づかないのですが……。

 

呼吸も脈拍も自分が生きるための体の働きです。体は生きようとしている。どうしたって「今」「わたしは」生きている。それを改めて実感しました。

 

さて、日を置いて今朝もう一度この「死に顔を長めるワーク」をしてみました。

今朝は「体は器だな」と感じました。「体=いのち」でもなく、「心=いのち」でもない。

体がなくなったらいのちが消えてなくなるわけではないのかもしれない。

それこそ、前の記事のように一本の線香が燃え尽きた時に香炉の灰とひとつになるように。

 

自力で生きてしまう私たちにとって、死は本当に他力へ一切をゆだねられる門出なのかもしれません。日日是好日

 

 

小出遥子さんのツイキャス

ラジオ瞑想は毎朝6時からです。

小出遥子(こいではるこ) (@haruko_koide) 's Live - TwitCasting

香炉の灰は他力の灰

香炉に灰があること - 彼方に灯る

以前にラジオ瞑想の後でこんな夢を見ました。

最近になってこの「香炉に灰があることを知っていること」は他力の中にいることを知っていることじゃないかと思い始めました。

 

ラジオ瞑想で丹田へとこころが下りていくように、自力であるお線香の私が少しずつ下へと燃えていき、やがて自分も灰に…というよりも、寧ろずっと灰の中に私はいたんだなと気づくこと。

それが「香炉に灰があることを知ってること」なのかなと。

今朝のラジオ瞑想は自分がふかふかサラサラの灰の中に自分もやがて灰になっていくつもりで楽しみました。日日是好日

 

小出遥子さんのツイキャス

ラジオ瞑想は毎朝6時からです。

小出遥子(こいではるこ) (@haruko_koide) 's Live - TwitCasting

真珠の涙が湧いてくる

先月、祖父が亡くなりました。

ルーティンが軸となる - 彼方に灯る

私が遠く離れた土地へ引っ越したため、死に目に会えないことは覚悟の上でした。

早朝に家族から電話があり、息を引き取ったと。

 

慌ただしく荷物をまとめ終えて、あとは家を出るばかりになった頃ちょうどラジオ瞑想が始まる数分前でした。

ラジオ瞑想に参加して、ツイキャスのコメント欄に「身内が亡くなりました。しっかりと悲しんできます。」と確かコメントをしたと思います。

白隠慧鶴の弟子だったおさつ婆さんが、孫娘を亡くして大泣きし、周りに「あなたは白隠さんに認められ、悟りを開いたはずでは」と言われ「うるさい、今、私は真珠の涙を流している」と返した話を思い出していました。

 

それから家を出て、数時間かけて祖父の家を目指しました。

祖父の家に着き、仏間に入ると綺麗な布団に寝かされた祖父の姿がありました。

次の瞬間、私は文字通り泣き崩れていました。

祖父はお浄土へ迎えられた。苦しいことはもう何も無い。

そう思ったところで涙は後から後から出てきて、ただただ悲しく。

 

納棺で泣き、通夜で泣き、葬儀も泣き、火葬の前には「行かないで!」と嗚咽。

 

火葬が終わり、お骨を眺めているとそこに仙骨が綺麗にその形のままあることに気づきました。

体の丹田はちょうど仙骨の前あたりに位置しています。

いのちだなあ。

そう思いながら私は仙骨を骨壷へとおさめました。(大きかったのでやむなく崩しましたが…苦笑)

 

祖父の死は私にたくさんのことを教えてくれました。いのちのこと、体のこと、そして生真面目だと勝手に私が思い込んでいただけで実はそこそこ遊んで人生を謳歌していたことも(笑)。

 

真珠の涙を流したら改めて生きることが肚へと下りてきた気がします。日日是好日

 

小出遥子さんのツイキャス

ラジオ瞑想は毎朝6時からです。

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